知能と短期記憶の密接な関係:ワーキングメモリ【未知会ログ】

知能と短期記憶の密接な関係:ワーキングメモリ【未知会ログ】

ウェクスラー式知能検査(WAIS・WISC)は現在最も普及している知能検査の一つです。

前にこちらの記事で簡単に説明をしました。

「ウェクスラー式」知能テストの特徴は?【未知会ログ】

 

現行の第4版のWAISでは、総スコアとしての「知能指数(IQ)」の他に、4つの指標を算出します。

・言語理解:Verbal Comprehension
・知覚推理:Perceptual Reasoning
・ワーキングメモリ:Working Memory
・処理速度:Processing Speed

※ワーキングメモリは「作動記憶/作業記憶」と訳すこともありますが、英語と同様の「ワーキングメモリ」の方が通りが良いと思われますので、この表記にしています。

WAISにおいてこれら4つは、いわば「知能を構成するパーツ」と見なされていると言えます。

しかし、これらの4つの指標が何を意味するかは、認知科学的な背景知識がないとなかなか解釈が難しいと思います。

これらの4つの指標について、何回かに分けて概説していこうと思います。

 

まず今回は「ワーキングメモリ working memory」から。

ワーキングメモリとは何か

Working memoryは日本語で「作動記憶」とも訳されます。

と言っても、「エピソード記憶」や「意味記憶」といった「記憶」とは機構が異なっています。

 

記憶を「長期記憶 long-term memory」「短期記憶 short-term memory」に分けて考えるとき、「エピソード記憶」「意味記憶」などは「長期記憶」と分類します。

これらは「記憶が定着するのにやや時間がかかる反面、一度記憶が成立したら簡単には消えない」という性質があるからです。

 

対して「短期記憶」というのは、簡単にいえば「別のことを考えたり気を取られたりするとすぐ頭の中から消えてしまう記憶」です。

聞いたばかりの電話番号をメモに残すのは、「そうしないとすぐに忘れてしまうから」ですね。

 

コンピュータに多少強い方なら、こういうアナロジーで考えるのも良いと思います。

・「長期記憶」は脳に構造的に保存されている情報で、PCで言う「ストレージ」に相当する
・「短期記憶」は脳に電気的に把持されている情報で、PCで言う「メモリ」に相当する

※長期記憶については私が過去に書いたまとめ https://trtmfile.com/2017/12/28/post-190/ もご参考に
※PCに詳しくない方はこんなのもどうぞ https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1706/01/news051.html

 

短期記憶の容量を推定するテストとしては、「ランダムに読み上げたn桁の数字を正しく覚えて回答する」といった課題がシンプルで好まれています。

読まれた数字を耳で聞く → 頭の中に一時保存 → 保存された数字を読み出す → 解答

という機構を想定した上で、「正解できるならば、入出力された情報容量以上の記憶容量を持っているはずだ」という論理ですね。

 

ところで、短期記憶のテストは、外国語や歴史の知識を問うようなテストに比べて「その時のその人の状態」によるブレ幅が大きいテストです (泥酔した人に試してみましょう!)

なので、この「与えられたn桁の数字を正しく答える」という課題は、集中力のテストとして使われることもあります。

後述するように、「短期記憶をコントロールする能力」は「集中力」と呼ばれる能力と密接に結びついているので、「短期記憶のテスト」であると同時に「集中力のテスト」でもある、というのは特に矛盾した話ではありません。

 

さて、次に「算数の暗算」について考えてみましょう。

次の問題を出題者が読み上げているとして、筆記具や電卓を使わずに解答することを考えてください。

 

「太郎君は500円を持って家を出ました。
 自動販売機で160円のジュースを2本買って帰ってきました。
 太郎君が持ち帰ってきたお釣りは何円ですか?」

 

この計算をする時、思考過程は以下のように流れるのではないでしょうか。

「①500」という数字を頭におく
 →それを忘れないようにしつつ「②160×2」を考えて、その答え「320」②を上書き
  →そして「①-②」「500-320」に置き換えて計算する
   →答え「180円」が出てくる

立式による過程の差異はあってもいいのですが、ここで重要なことは「計算」という作業と並行して「記憶」の要素が機能していることです。

もっと細かく言えば、実は四則計算を暗算するだけでも、「ある桁の数字を操作する」という要素と「別の桁の数字を忘れないように把持しておく」という要素が並列しています。

 

こうして考えると、「算数の暗算」などを行う時には、「ある種の短期記憶能力」が使われていることが分かるでしょう。

これを説明するのが「ワーキングメモリ(作業記憶)」という概念です。

 

「短期記憶」は、「入力された情報を単純に一時保存しておき、そのまま読み出す」能力。

「ワーキングメモリ」は、「情報を一時保存したまま、並列して何らかの情報処理を行い、保存した情報を必要に応じて利用する」能力です。

「ワーキングメモリ」「短期記憶」と非常に近い能力を指しますが、情報の「保存・読み出し」と並行して「情報処理」を行うという点が違います。

歴史的にはこれらを「別の機能」として論じる向きも一部にありましたが、現在では「ワーキングメモリ」と「短期記憶」はほぼ対応することが知られており、概ね表裏一体の機能であろうと想定されています。

Working memoryを測定するテスト

現在主流となっている「ワーキングメモリ working memory」のモデルを提唱したのはAllan Baddeleyです。

彼の行った実験から紹介しましょう。

 

1つ目の実験は、「数字を覚えたまま簡単な質問に連続で答える」というものです。

Baddeley AD. Working memory. Philosophical Transactions of the Royal Society of London B, Biological Sciences 1983;302(1110):311-24.

被験者はまず1~8桁のランダムな数字を伝えられ、それを最後まで覚えておくよう指示されます。
その状態のまま、次のような簡単な問題に「Yes/No」で答えます

  「Aの次にBがありますか?→AB」
  「BはAより前にありませんか?→BA」

つまり、「覚えるもの=数字」「処理するもの=短文の正誤判断」ということですね。

この実験の結果、「最初に覚えさせた桁が多いほど、文判断の課題に時間がかかる」ということが分かりました。

直感的には「そんなもん当たり前だろ」と言いたくなるかも知れませんが、「数字を一時的に覚えておく」という行為と「短文の正誤を判定する」という行為は、一見すると「別の作業」です。

つまり、「覚えたものを忘れないでおく」という機能と「文章を読解して判断する」という機能が、どこかで「共通のリソース」を利用しているようだ……というのが、この実験の明らかにした画期的な点なのです。

 

もう一つ、BaddeleyではなくDanemanという人が行った実験を紹介します。

Daneman M, Carpenter PA. Individual differences in working memory and reading. Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior 1980;19(4):450-66. doi: https://doi.org/10.1016/S0022-5371(80)90312-6

これは「リーディングスパンテスト Reading-span test」と呼ばれるものです。

被験者は、カードに書かれた短文を声に出して読み上げます。

1枚音読すると、次のカードが上に重ねられ、またそれを音読します。

そして被験者はカード1枚ごとに「文の最後の単語」をどんどん覚えていくことを要求されます。

例えば、
1枚目が“I have a dog.”
2枚目が“She drinks a cup of coffee”

だったら、2枚を音読した後に「dog, coffee」と答えて正解になります。

3枚読んだ後には3単語、10枚読んだ後には10単語を回答する必要があります。

このようにして、「音読を続けたまま、覚える単語を1つずつ追加していくと、何個目くらいで覚えきれなくなるか」を数値化するのが「リーディングスパンテスト」の目的です。

この実験では、「覚えるもの=各文の最後の単語」「処理するもの=文の音読」ということですね。

そしてこの実験では、「人には作業をしながら記憶できる単語数に一定の限界があるようだ」ということが判明します。

 

この実験については論文の後半が更に面白いので、また後で紹介します。

Baddeleyのモデル

長くなってきたのでそろそろ「ワーキングメモリ」の全貌を提示しましょう。

結論から言えば、Danemanらが行った「リーディングスパンテスト」は、「ワーキングメモリ」を測定するテストでした。(少なくとも現代ではそう見なされています)

 

また、様々な研究者の追試によって次のようなことが分かりました。

・「言語情報を覚えておくこと」は「言語的な処理」に干渉する(→共通のリソースを使う)
・このような「言語情報の並列処理の能力」は、異なる課題でも結果は概ね相関する
・こうした「言語のワーキングメモリ能力」は「言語理解力」と正相関する(別記事で扱います)
・「言語情報」と「視覚情報」は、互いにほぼ干渉しない(→共通のリソースを使わない)

この辺りは一つ一つが非常に興味深い事実なのですが、実験を紹介するときりがないので、実験論文をまとめたレビューを紹介するに留めます。

Baddeley A. Working memory: looking back and looking forward. Nature Reviews Neuroscience 2003;4(10):829-39. doi: 10.1038/nrn1201 https://doi.org/10.1038/nrn1201

 

こうした様々な結果を矛盾なく説明するためにBaddeleyが提唱したのが下のようなモデルです。

Phonological Loop ⇄ Central Executive ⇄ Visuospatial Sketchpad

以下の図は、このモデルを私が自分の解釈で勝手にビジュアル化したものです。

この装置は、「記憶領域」「実行機能」から構成されています。

・Phonological Loop:言語的な情報を音声として残しておく記憶領域
・Visuospatial Sketchpad:空間的な情報を空間表象として残しておく記憶領域
・Central Executive (≒Executive Function):記憶領域へのアクセスと操作を行う実行機能

先程、記憶をパソコンの部品に例えて説明しましたが、このExecutive Functionというのは要するにCPUみたいなもんです。

「PCのメモリ」に当たる「Phonological Loop」「Visuospatial Sketchpad」と、「PCのCPU」に当たる「Executive Function」で構成されるのが、ワーキングメモリというシステムである……ということになります。

 

この3ユニットの考え方は一見してあまりに「理論的に上手く出来すぎている」ように見えますが、むしろ「実験的事実を説明するものとして」構築された理論であることに注意して下さい。

 

事実、Baddeleyのモデルでは記憶領域は「Phonological Loop」「Visuospatial Sketchpad」の2つですが、その後の研究結果などを説明するに際して「もっと多種の記憶領域を想定する必要があるのでは?」などと指摘されています。

「『Executive Function』と『複数の一時記憶領域』から構成される」ということだけ押さえておいて、「何種類の記憶領域を想定するかは、どんな実験系を説明したいかによる」という風に考えておくのが良いかも知れません。

とはいえ、日常的な多くの場面では「言語的記憶」と「視覚的記憶」の区分で事足りるのではないかと思います。

 

基礎理論を説明するだけで記事が長くなってしまいました。

次回はこの「ワーキングメモリ」という認知機能がどのような意義を持つ概念なのか、そしてどんな応用があるのかを紹介していこうと思います。

おわりに

★ひとことまとめ

1. 「ワーキングメモリ」は「短期記憶」と近い能力

2. 「処理をしながら短期記憶を維持する」のがワーキングメモリのテスト

3. ワーキングメモリは「記憶領域」と「実行機能」からなる

 

★参考文献

・書籍

Hunt, E. (2010). Human Intelligence. Cambridge University Press

・論文

Baddeley, Alan. “Working memory: looking back and looking forward.” Nature reviews neuroscience 4.10 (2003): 829.2.

Baddeley, Alan. “Working memory.” Science 255.5044 (1992): 556-559.

苧阪直行. “前頭前野とワーキングメモリ.” 高次脳機能研究 (旧 失語症研究) 32.1 (2012): 7-14.

 

★もっと知りたい人向け

トレーシー・アロウェイ:

脳のワーキングメモリを鍛える!

出版社, 出版年NHK出版, 2013/12/20

 

今回の引用文献には含めませんでしたが、Tracy P. Allowayもワーキングメモリの研究で有名な研究者の一人です。

現状ではワーキングメモリについて最も俯瞰的に書かれた一般向けの和書だと思います。が、引用文献リストが削られてしまっているのが残念すぎる……。

また、ワーキングメモリへの期待が過大に主張されている感は否めない。

 

T.P.アロウェイ, R.G.アロウェイ:

ワーキングメモリと日常: 人生を切り拓く新しい知性.

北大路書房, 2015/10/22

 

著者は上記と同じAlloway氏ですが、こちらは原著論文も多数引用しており、かなり客観的な立場で書かれています。

ワーキングメモリに関して系統的に解説している日本語の一般書はほぼ無いので、ちゃんと知りたい方はこのような「入門レベルの学術書」に手を出してしまうのが良いと思います。

成書の中では、おそらく本書がもっとも網羅的かつ文献引用の多い「ワーキングメモリについての本」だと思います。

 
★この研究会について

本記事は輪読会の内容を元に、メンバーのトークも盛り込んでサマライズしたものです。

トピックや話の流れは上記のテキストを踏襲していますが、内容は再解釈の上で大幅に加筆や再編を加えています。

 

この記事を書いた人

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狐太郎

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