ここまでの記事で、「一般知能因子g」と、そこから派生した「CHC理論」「g-VPRモデル」を紹介してきました。
これらは現在のメジャーな知能テストにも取り入れられてます。
いわば「主流」とも言うべき知能理論ですね。
ここで一旦、他方へ目を転じてみましょう。
ここから数回に渡って紹介するのは、「一般知能」や「CHC理論」といった主流の知能理論に対して、ある種のアンチテーゼとして生まれた理論たちです。
こうした理論は「傍流」だからと言って決して「見るべき点がない」わけではありません。
これらを他山の石とすることは、「主流の知能理論が見落としている側面」へのヒントになります。
今回はそんな中から、Gardnerの「多重知能理論」を取り上げていきましょう。
多重知能理論とは何か
「全てのテストの出来・不出来を左右する『一般知能因子 g』が存在する」という主張は、
やや雑に言い換えれば
「世の中には『どんな分野でもよく出来る子』と『どんな分野でもあまりよく出来ない子』がいる」
ということになります。
Howard Gardnerの「多重知能理論 multiple intelligence」は、これに異を唱えるものです。
Gardnerは
「『普遍的な知能』など存在しない。知能とはもっと多様であり、そして互いに独立である」
と主張します。
この意見には、日常経験から賛同したくなる方もいるのでは無いでしょうか。
「一口に『知能』といっても、人によって得意・不得意がある」
という肌感覚はかなり大衆的なものだと思います。
Gardnerが「知能」として掲げた項目は発表時期により微妙に異なりますが、主要なものとして以下の8つの「知能」を挙げています。
-
Logical-mathematical intelligence 論理・数学的知能
-
Linguistic intelligence 言語的知能
-
Spatial intelligence 空間的知能
-
Musical intelligence 音楽的知能
-
Bodily-kinesthetic 身体・運動的知能
-
Interpersonal intelligence 対外的知能
-
Intrapersonal intelligence 内向的知能
-
Naturalistic intelligence 自然的知能
(Gardner, H. 1999)
(和訳は記事筆者による直訳)
こうして並べると、確かに「学校や知能検査で測られる能力」はこの中のごく一部かもしれません。
しかし、よく見ると「これってそもそも知能なの?」と言いたくなるような項目も混ざっています。
それもそのはずで、Gardnerの主張は
「そもそも現状の学校教育は、生徒の能力を狭い分野に閉じ込めている」
というポイントに力点を置いているのです。
そしてGardnerはこれらの「多彩な知能」について「それぞれ独立である」と主張しました。
これが「g」を前提とする知能理論とは決定的に異なる点です。
「CHC理論」でも知能にいくつかのドメインは想定していましたが、彼らの解析では「空間認知」も「言語機能」も「数学」も正相関していたはずです。
これに対してGardnerは「全ての知能が正相関しているように見えるのは、多くのテストが言語・論理を介して出題・回答されているからだ」と反論しました。
更に「このように、現代の学校教育は一部の知能に重点を置きすぎている」とも批判しています。
Gardnerは「g」の存在を否定することで、
「どんな子にも、『その子の優れた知能』が何か備わっているはずだ。それを伸ばすべきだ」
という教育理念を打ち立てたのです。
多重知能理論の教育展開
Gardnerの主張は、一部の教育者たちに熱烈に歓迎されました。
「個性を重視してのびのび育てる」という理想を、学術的に支持してくれたからです。
「従来の学校教育で培われてきた知能は、本当の知能のごく一部である」
「全ての知能が低い子なんていないのだから長所を伸ばせば良い」
こうした主張は(学校の成績があまり良くない人たちを含め)多くの人に希望を与えるものです。
このため、Gardnerの多重知能理論は今も一部界隈では絶賛されています。
「多重知能理論」と検索するだけで某有名塾のサイトがヒットしたりします。
Amazonで検索してもこの通り。和書でもかなりの数が出てきます。
しかしここで理念は一旦保留して、その妥当性について目を向けてみましょう。
まず一点目として、「全ての知能が独立である」という仮説を受け入れたとして、それは論理的にも統計的にも「全ての子に何らかの才能がある」ことを意味しません。
「8枚のコインを投げても、256人に1人くらいは『全て裏』になる人がいる」というのと同じことで、論理的には「全ての知能が低い子」が一定確率で存在することになります。
この点について「その子の得意分野を伸ばす」という発想では何も救済を与えられません。
「一般知能」理論に対する「全ての能力が低いと言われた子はどうすればいいのか」という批判は、多重知能理論によって完全に解消されはしないのです。
(そもそも一般知能というのは「相関」を語っているだけで、決定論的なことは何も主張していないので、元の批判からして筋違いだとも言えるのですが……)
また、実用的な面でも問題は残ります。
「既存の知能テストで測られる知能は言語性知能・論理性知能に偏っている」
「学校のテストの結果は言語性知能のフィルターを通して見ているに過ぎない」
と主張したところで、先進国で生活していく以上は「言語性知能も論理性知能も使わずに生きていくこと」など不可能です。
「言語性知能はイマイチだけど音楽性知能は高い」という子に「言語的知能の訓練を軽視して音楽的知能だけを伸ばす」という教育が、本当に「未来の可能性を伸ばす」と言えるでしょうか?
「現行の教育は狭い能力しか見ていない」と言ったところで、その「狭い能力」が社会適応において重要な役割を担うのならば、教育としてはこれを軽視する訳にはいかないはずです。
「現在の教育制度よりも広く知能を評価するシステムの方が優れている」と提唱するならば、その「より広い知能観」が、子供が社会に出ていく上で有意義であることを示さねばなりません。
極端な例ですが、例えば現在の学校教育で「乗馬」の能力が問われる場面はありませんね。
ここで、「学校では乗馬の能力を評価しない」という事実を指摘したところで、それは「学校教育に乗馬を取り入れるべきだ」という論拠にはなりません。
「現代の学校教育で乗馬の能力を問うこと」に何の意義があるのか、何の有用性があるのか。
これを示さずに「現代の学校教育では乗馬を教えないからダメだ」という結論を導くのは飛躍でしかありません。
多重知能理論の科学的検討
「知能には数多くの独立な軸があり、学校ではその一部しか測られてはいない」
というGardnerの主張に対して、大筋で同意したい人は多いのではないでしょうか。
これは調査によっても裏付けられています(Furnham A, 2001)。
既存のメジャーな知能の枠組み(言語・数学・空間)に関して、
「もっと広い分野から総合的に『知能』を評価すべきだと思いますか?」という旨の質問をすると、
背景による差はあれども概ね肯定的な回答が集まります。
しかし、面白いのはこの論文の続きです。
「では、あなたが他人の知能について、多面的な知能を踏まえた総合的な評価を下してください」と被験者に他人の「総合点」を付けさせます。
そして別途に、Gardnerの多重知能理論に基づいて「彼の〇〇の能力はどのくらいですか」と個別の質問で「各能力の点」を付けさせます。
結果はどうなったでしょうか。
この「総合点」を因子分析してみると、結局は「言語的知能・空間的知能・数学的知能」と強く相関するものだったのです。
結局、「学校の勉強や知能テストに依存しない賢さを持っている人」も例外的に存在してもおかしくないが、全体として「総合的に賢いとみなされる人」は「学校の勉強で使われるタイプの知能が高い人」とほぼ一致する傾向にある、ということです。
「主観的に多様だと思っている知能」が、「統計的にはそれほど多様ではない」というのは興味深い事実です。
「既存の『知能』の枠組みより広く多才な能力を評価すべきだ」
「私は既存の枠組みを超えた多様な能力を広く評価できる」
と主張する人がいても、それが本当に何か新しい能力要素を指摘しているとは限らないわけですね。
多重知能理論を検証するために組まれた研究が他にもあります(Beth A et al., 2006)。
この研究では、大学のコミュニティをベースに、数多くの学部・学科からの健常ボランティアが選ばれ、多重知能理論の枠組みに従って作られた多種のテストを受けました。
結論から言えば、結果は多重知能理論の敗北でした。
「身体・運動」を除くほとんどの項目同士は、弱いながらも有意に正相関していたのです。
そして逆に、「同じ枠内の知能を測っている」とされた別個の課題同士は0.1~0.2程度でしか正相関しませんでした。
別の記事で先述したように、「一つの大学の中から選ぶ」といった限定的なサンプリングでは、「g」の影響を弱めて、ドメイン別の得意・不得意を強く出しやすいバイアスがかかります。
つまり「多種の知能は相互に相関しない」と主張する「多重知能理論」に有利なサンプル群だったにもかかわらず、結果は「多重知能理論を肯定する」どころか、弱いながらも「一般知能の存在を支持する」結果だったわけです。
上記のデータは観察研究です。
しかし、「教育」という側面においても、多重知能理論は裏付けとなる客観的データに乏しいです。
そもそもGardnerは「既存の学校教育の枠組みにおける能力評価・教育システム」を批判しましたが、「より広い個性に合わせた能力評価」をどのように行うかについて、実証的で定量的な手法を提起していません。
当然の帰結として
「個性を伸ばす教育システム」が「どの能力をどれだけ伸ばしたか」
「それによって既存の教育より何らかの点で『優れた』大人になったのか」
という点についても検証できていないわけです。
Gardnerの提起がそもそも「何でも知能を数字にするな」という発想に基づいている節があるので、こうした問題点は当然といえば当然のものです。
というか、彼自身はそれを「落ち度」とも思っていないかもしれません。
しかし科学的立場からは、「この主張には科学的根拠がない」「そもそも反証可能性のある主張でない」ということを、はっきりと指摘せざるをえないでしょう。
ともあれ、Gerdnerの主張や理念まで完全に否定する必要はないと思います。
教育や能力評価の心構えとして、多くの場合に「私たちが見ている『能力』とは、言語的・論理的なフィルターを通したものだ」という留意が必要であることは真実です。
我々は「人間が原理的に測れない能力」について不可知論を貫くべきでしょう。
最後におまけを一つ。
Gardnerの多重知能理論と非常に親和性の高い教育メソッドとして「モンテッソーリ教育」というものが知られています。
この「モンテッソーリ教育」は近年、棋士の藤井聡太氏を輩出したことで脚光を浴びるようになりました。
教育メソッドとしての統計学的な優劣は付けることが出来ませんが、これは一つの事例として中々興味深い話ではないでしょうか。
今回は以上です。
おわりに
★ひとことまとめ
1. Gardnerは「知能は独立な複数の能力からなる」と主張した
2. Gardnerの「多重知能理論」は教育界にインパクトを与えた
★参考文献
・書籍
Earl Hunt: Human Intelligence(2010, Cambridge University Press)
Gardner, H. (1999). Intelligence reframed: Multiple intelligences for the 21st century. New York: Basic Books.
Gardner, H. (2011). Frames of Mind The Theory of Multiple Intelligences. Basic Books.
・論文
Furnham, A. (2001) Self-estimates of intelligence: Culture and gender difference in self and other estimates of both general (g) and multiple intelligences. Personality and Individual Differences, 31 (8), 1381–1405.
Visser, B. A., Ashton, M. C., Beyond g: Putting multiple intelligences theory to the test. Intelligence, 34 (5), 487–502.
・Web(2020/4/2アクセス)
Wikipedia: Howard Gardner (https://en.wikipedia.org/wiki/Howard_Gardner)
Wikipedia: Theory of multiple intelligences (https://en.wikipedia.org/wiki/Theory_of_multiple_intelligences)
Human Intelligence: The Theory of Multiple Intelligence (https://web.archive.org/web/20121125220607/http://www.indiana.edu/~intell/mitheory.shtml)
Howard Gardner(原著), 松村 暢隆(翻訳):
MI:個性を生かす多重知能の理論.
新曜社, 2001/10/1
Gardner自身による多重知能理論の概説書です。
過去の知能研究に関する知見がGardnerによってサマライズされているので、一般的に「知能」について学びたい人にもオススメできます。
ただ、結論としてここに挙げた「多重知能理論」を擁護する形でまとめられているので、その点には注意が必要。
神成 美輝(著), 百枝 義雄(監修):
モンテッソーリ流「自分でできる子」の育て方.
日本実業出版社, 2015/8/6
最後に紹介した「モンテッソーリ教育」に関する本です。
幼児向けなのでやや「知能」というより「発達」に寄ったアプローチになっていますが、近頃注目されている「非認知能力 non cognitive skill」を重視したアプローチが所々に見られます。
「8つの知能」の存在はあまり強調されていませんが、多重知能理論と背景を共有する教育論であることが感じられますね。
★この研究会について
以下の書籍の輪読会をインターネット上にて定期開催しています。
Earl Hunt: Human Intelligence(2010, Cambridge University Press)
本記事は輪読会の内容を元に、メンバーのトークも盛り込んでサマライズしたものです。
トピックや話の流れは上記のテキストを踏襲していますが、内容は再解釈の上で大幅に加筆や再編を加えています。
なお、研究会に参加をご希望の方はこちらの記事をご覧ください。
この記事を書いた人
狐太郎
最新記事 by 狐太郎 (全て見る)
- AIサービスを活用した英文メール高速作成術 - 2023年3月28日
- 大学生・院生に便利なAIウェブサービスまとめ【2023年2月版】 - 2023年2月22日
- 「読書強者」が「速読」に価値を見出さない理由【隙間リサーチ】 - 2022年9月23日