前項では記憶をいくつかのタイプに分けました。
学習に関わる点として、以下のようなポイントがありましたね。
・「短期記憶」は原則として残らない
・学習に重要なのは「長期記憶」である
・長期記憶は主にシナプス結合の変化によってもたらされる
・長期記憶で特に学習に有効なのは「意味記憶」と「手続き記憶」
これらの用語・概念は「記憶」はデータを読む上で頻繁に登場します。
こうした「総論」を踏まえつつ、各論的なテーマを少しずつ紹介したいと思います。
今回のテーマは「睡眠と記憶」です。
1.「眠る」ことによって「忘れる」のは何故なのか
私たちは「一瞬前のこと」を自然と覚えています。
ただし、それはふとした拍子に頭から抜け落ちていきます。
トイレから出た時にそれまでの考えを忘れたり、
エクセルを立ち上げた瞬間に入力すべき数字を忘れたり、
コンビニに到着した途端に買うべきものを忘れたり……
こんな時、「さっきまで覚えていたのに」と私たちは感じるはずです。
ここでいう「覚えていた」というのは、前項でいう「短期記憶」です。
別の言い方で言えば、「ワーキングメモリ」と呼ばれるものとも重なります。
短期記憶は、脳の神経が絶えず電気活動をすることで、動的に維持されているようです。
「電源が入っている間だけ記憶する」という点で、コンピュータの「メモリ」に近いです。
そして、コンピュータのメモリと同様に、「貯蔵」するための記憶ではないのです。
ゆえに、そこに他の電気活動が上書きされることで容易に消えてしまいます。
睡眠中には無意識下で、起床時とは異なる電気活動が行われていることが分かっています。
「寝るとそれまでのことを忘れる」というのは、こうした脳の電気活動が一時的にリセットされることで起こるものです。
「短期記憶」とはこのようなミズモノなので、狭義には「記憶」に含めない方がよい、と私は前項でお話ししました。
2.長期記憶は眠ると強化される?
「電気活動の間だけ維持されるメモリ」が、他のものに意識を向けたり睡眠を取ったりすることによって容易に上書きされるのなら、私たちはどうして朝起きたときに「今日は月曜日だ」と思い出せるのでしょう。
これこそが、前頁で「狭義の記憶と呼ぶべきもの」と言った、「長期記憶」です。
朝起きたばかりの人にとっての「寝る直前の記憶」とは、ある意味で「最も近い長期記憶」でしょう。(もっとも、「ある意味ではそうとも言えない」のですが……)
このような長期記憶がシナプス結合(神経細胞の結びつき)の変化によって保存されていると言うことは前項でもお話しました。
「睡眠によってシナプス結合が再編される」という説はこの辺りのレビューで詳しいです。
Tononi G, Cirelli C (2006) Sleep function and synaptic homeostasis. Sleep Med Rev 10: 49-62.
「シナプス結合の再編」は細胞レベルでの仮説ですが、実際の行動レベルでは更に昔から数多くのエビデンスによって「睡眠が記憶を強化する」ことが示されてきました。下記のレビュー論文にはこれらの業績がよくまとめられています。
Stickgold R (2005) Sleep-dependent memory consolidation. Nature 437: 1272-1278.
さらになんと、この「睡眠による記憶固定効果」は90分の「昼寝」でも得られるようです。
昼寝ばかりしていては勉強が捗らないので考えものですが、眠くて眠くて何も手につかない状態なら「眠るのも勉強だ!」と開き直って昼寝をしてしまってもいいかもしれませんね。(私はその結果について一切責任を持ちませんが……)
3.睡眠と記憶はどのタイミングがいい?
「一回睡眠を挟むことが記憶を固定化させる」ことがわかったところで、俗に言う「寝る前には暗記モノ」が有効なのかを調べてみましょう。
「暗記の時間帯と記憶の固定」について、こんな論文がありました。
Gais S, Lucas B, Born J (2006) Sleep after learning aids memory recall. Learn Mem 13: 259-262.
この実験は「ドイツ語と、それを意味する英単語を覚えさせ、その後にどれだけ覚えているかテストする」というシンプルなテストで様々な時間帯や睡眠時間を検討しています。
「単語帳の丸暗記」という、(私が思うに)「悪い」語学を模していますが、「学習」としてほとんどの科目はこのような「単純暗記」と呼ばれる要素を含んでいるので、単純暗記のモデルとしては十分なものでしょう。
一つ一つの比較条件でなかなか興味深い結果が出ており、興味がある方には是非とも原文で読むことをおすすめしますが、
中でも比較条件の一つとして、
「朝8時に覚えて、翌朝8時に思い出してもらう」よりも
「夜8時に覚えて、翌晩8時に思い出してもらう」方が成績が良かった
という結果が報告されています。
覚えてから思い出すまでの時間間隔は公平に24時間なので、これは「寝る前に覚えた事による効果」であったと考えるのが良いでしょう。
(なお別のデータで「朝の方が思い出しやすい」ことはきちんと示されています)
また、「暗記を行ってから10時間睡眠を取らないと忘却率が上がる」ことも示されました。
やはり俗説にある通り、「暗記物は寝る前が良い」ようです。
「思い出す練習は朝」「覚える勉強は夜」が効率のいい分配かと思われます。
4.睡眠を有効活用するには?
ここまでの記憶研究から、以下のような点については異論のないところです。
・長期記憶に留めたいなら、睡眠を挟まずに学習するより、学習して睡眠を取った方がいい
これは、学習法としてどういうことを意味するのでしょうか。具体例で考えましょう。
例えば、暗記用の一問一答問題集10冊を10日で各10回練習しようと思った時、
パターンA:1日で1冊を10回ずつ練習する×10日分
パターンB:1日で10冊を1回ずつ練習する×10日分
といった別パターンで覚えた二人(A君・B君)がいるとしましょう。
この時、二人の記憶能力がほぼ同等なら、おそらくB君の方がよく覚えるでしょう。
A君は各学習内容について1回ずつの睡眠しか与えていないのに対し、B君は1つの学習内容ごとに10回ずつの睡眠が与えられていることになるからです。
「A君が最初に覚えた問題集は10回の睡眠を経たことになるのでは?」と思われるかもしれませんが、「学習していない日の睡眠は記憶強化に寄与しない」という実験結果があります。
つまり「毎晩の睡眠で強化したい記憶なら毎日覚えろ」ということですね。
というわけで、一般論に再び跳躍しますと、
「一日で集中的に繰り返す行為は、記憶効率から見たらコスパが悪い」
「同じ内容を数日に渡って覚え直す方が、固定されやすい」
ということです。
暗記科目は「毎日浅く広く、数日かけて」がベター。
ただし、「似ているけどちょっと違った別々のパターンを覚える」ような作業は1日の中に複数詰め込むと「干渉」してしまうという話も確認されています。(これも先程の論文ですが)
こうした現象は「記憶の形式」の影響を受けることが予想されるので、手続き記憶によって示されたこれらの事実が意味記憶にも当てはまるかは断言できません。
なのでひとまず「同じ科目の同じ分野をバラバラな覚え方で覚えるのは、1日の中で行うと効率が下がるのかもしれない」という仮説に留めます。
睡眠と記憶をめぐる諸説について、実際の実験データから眺めてみました。
こんな風に「実証に基づいた学習メカニズム」を読み解いていく際には、前項で整理した概念整理が使われているわけですね。
前項での記憶の区分は、今後も毎回登場する用語となってきます。
★ひとことまとめ
1.短期記憶は睡眠前後で持ち越されない
2.長期記憶は睡眠によって強化される
3.睡眠による記憶強化は「寝る前」の方が効果的
4.一日に何回も覚えるより、別の日に繰り返そう
☆このトピックにオススメの本
眠っているとき、脳では凄いことが起きている:
眠りと夢と記憶の秘密.
インターシフト, 2015
「睡眠」と「記憶」の関係について、これほど情報の充実した本は類書にも無いと思います。また、「夢」についてもかなり頁を割いて紹介しています。
専門知識が無くても読めるような水準で書かれていながら、この話題に関してはかなり新しい研究まで網羅していてレベルが高い。今回紹介した論文も、いくつかはこの本の引用文献から探してきました。
睡眠の科学 改訂新版 なぜ眠るのか なぜ目覚めるのか.
ブルーバックス, 2017
「睡眠」そのものについての解説はこちらが非常に充実しています。
「そもそも人はどうして眠るのか?」「レム睡眠とは何なのか?」といった「睡眠の本質」を、実証的なデータを元に解き明かしていきます。科学的な用語はバンバン出てくるので、高校生物レベルの前提知識がないと読むのは少し大変かもしれません。
参考文献
書籍
ペネロペ・ルイス (著), 西田美緒子 (翻訳) : 眠っているとき、脳では凄いことが起きている: 眠りと夢と記憶の秘密. インターシフト, 2015/11/20
論文
狐太郎
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