「漢字は表意文字である」
――昔こう教わった人は多いでしょう。
しかし近年、「漢字は表語文字である」ともよく目にします。
インターネットではこっちの論調が強い印象。
今回は、「『漢字は表意文字』というアノ教え方は妥当なのか」を、
専門家の文献を参考に検討してみました。
表音文字・表意文字を整理する
現代の日本語学では、言語を表記する文字は以下の3つに分類します。(子安, 2003)(町田, 2011)
=音素(≒子音や母音)の単位で音を表す
アラビア文字は元々は子音のみを表記していたので音素文字と言えそうですが、その後の派生文字では様々に母音を補うような工夫がされており、モノによっては下記の音節文字に近い表記体系となっていることもあるようです。
まとめには「1字が1つの音素」と書きましたが、これはあくまで原則です。
英語の「th」や「gh」のように、複数文字で1つの音素を表すこともあります。
=音節(≒子音+母音)の単位で音を表す
例:かな文字、エチオピア文字、クメール文字など
ハングルは1文字ごとに見ると「音節」を表しているものの、1字を更に分割すると子音や母音を表す単位にまで分けられるという面白い文字です。
「1文字」単位で見ると「音節文字」ともみなせる一方で、素性文字(音素よりも更に細かな母音・子音を弁別する記号)とも考えることが出来るという構成の文字です。
※川音リオ氏より、ハングルは素性文字であるとのご指摘を頂き、微修正しました。
御指摘ありがとうございました。(2019/4/27 4:36)
=語の単位で音を表す
「表語文字logogram」に近い概念として「形態素文字morphogram」という術語が使われることもあります。が、自然言語処理などを扱わない人にとって「形態素」という用語にはあまり馴染みがないかと思いますので、ここでは「表語文字」に統一しましょう。
ちなみに、「表語文字」という言い回しに則るなら「音素文字」「音節文字」も「表音素文字」「表音節文字」と呼ぶべきかも知れません(実際、そう呼んでいる文献もあります)が、ここでは「音素文字」「音節文字」と統一して呼ぶことにします。
これらの文字には、「文字の表す音がある程度決まっている」という共通点があります。
「ある程度」と言うのは、「厳密に1対1に対応しているわけではない」という意味合いです。
たまに「『犬』という字でイヌともケンとも読むので、漢字は読み方が決まっていない」という言が聞かれますが、むしろ「原則としてその2つのいずれかで読む」という明らかな「発音の限定」があることにこそ注目すべきです。
この観点からは、むしろ「漢字も読みが決まっている」というべきです。
英語だって「dog」と「dope」と「done」と「one」では同じ『o』でも読み方が違いますが、これを理由に「だからラテン文字は表音文字ではない」などとは言いませんね。
さて、これらの「表す音がある程度決まっている文字」に対して、「文字が表す音は定まっておらず、意味が定められている」ようなものを「表意文字ideogram」と呼びます。
=意味を表す(音は表さない)
たとえば、数字の「5」は「ゴ」と読んでも「five」と読んでもいいし、場合によっては「いつつ」読むこともありますね。
また、絵文字の😄を「ニコニコ」とか「にっこり」とか「えがお」と読んでも別に間違いではありませんし、そもそも音声言語を介さずに直接見て理解することが多いですよね。
「音を表す文字」に対置される「意味のみを表す文字」とはこうしたものです。
ここまでの話を表にまとめると、以下のようになります。
国語の授業で「表意文字」として扱うべきか
以上の区分に従えば、「漢字」が「表語文字」に属することは明らかに思えますが、本にはどう書いてあるかをちゃんと調べてみましょう。
近隣の中規模図書館で、
・2000年以降に刊行された本
・学者が出典や参考文献を明示しつつ書いた本
の中から、
・漢字を表意/表音/表語のいずれかで説明している記述
を探してみました。
子安宣邦『漢字論』では、「表語文字」の話題で〈代表例はいうまでもなく漢字である〉としています。
笹原宏之『日本の漢字』では、〈「表意文字」ないし「表語文字」〉と言っており、〈数字のような純粋な「表意文字」〉とは区別しています。
今野真二『正書法のない日本語』では〈表意文字=表語文字〉と記述されています。
町田和彦『世界の文字を楽しむ小事典』では、元から中国で使われていた漢字が〈表語文字〉であったことを明記しつつ、日本で発明された「万葉仮名」が例外的に〈表音文字(音節文字)〉であることを指摘しています。
少なくとも、4冊中2冊で「漢字は表語文字」として扱われている事がわかりました。
残りの2冊では、「表語文字」と併記する形で「表意文字」という言葉を使っています。
そして、「表意文字」という用語を単独で使っている書籍はありませんでした。
この結果からは、現代の国語では「漢字は表語文字」という見方が主流と考えられます。
では、なぜ「漢字は表意文字」と答える人が多いのか。
「漢字は表意文字」派の人に聞くと「小学校でそう習った」というお答えが聞けます。
文科省の『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説』には、今でも以下のような記述があります。(文書のP.45、PDFの49頁目)
漢字が表意文字であることを意識しながら,漢字に対する興味や関心を高められるようにする。
つまり、現在でも学校の国語教育では「漢字は表意文字」と教えているようです。
実は、「音素文字」「音節文字」を「表音文字」と呼び、「表語文字」を「表意文字」と呼ぶのは、昔の文献ではしばしば見られる用例です。
20年以上前の英語文献では「漢字は表意文字ideogramである」とする文献がたくさん見つかります。これは世界的にも漢字の性質や用法があまりよく理解されていなかった時代でしょう。
現代では漢字も「1語と対応してほぼ決まった音を表している」と知られるようになって、より誤解の少ない「表語文字logogram/形態素文字morphogram」という呼び方が適切に使われています。
現に、1980年代の論文で「Kanjiはideogramである」と書いた本人が、2000年以降の文献では「漢字は表語文字logogram/形態素文字morphogramである」と記述している例も見つかります。
古い文献でしばしば見られる「表意文字」という表記は、現代ではほとんどアイコンや絵文字を指すためだけに使われるようになっています。
現代の文字の分類と旧来の文字の分類を図示すると以下のようになるでしょう。
上に挙げた2000年以降の成書で、「漢字は表語文字」という単独表記や「漢字は表語文字/表意文字である」という併記はあるものの、「漢字は表意文字である」という単独表記が無かったのは、こうした混同を避けるためと考えられます。
何の注もなく「漢字は表意文字」と教えるのは、今や時代遅れであると考えるべきでしょう。
ちなみに、「表音文字phonogram」という用語はさらにややこしいことになりました。「音を表す文字」という意味の用語なので、「音素文字」「音節文字」「表語文字」の全てを含む用語として使ってよさそうに見えますが、「音素文字だけ指して」使う人もおります。本を読む際には注意です。
そもそも英語圏で「音素文字」に当たる「phonogram」が「音素文字だけ」を指すこともあれば「音素文字+音節文字」や「音素文字+音節文字+表語文字」を指して使われることもあり、これが諸悪の根源ではないかと思っています。
「学校で漢字をどう扱うべきか」の話に戻りましょう。
学校の国語では「漢字の正しい読み・書き」を習います。
つまり、漢字の読みが決まっていることになります。
もし学校の国語で完全に「漢字を表意文字とみなす」とすれば、例えば「千」を「ミル」と読んでみたり、「龍」を「ドラゴン」と読んでみたり……というのを授業の中で「正解」にしなければいけなくなります。
読みの決まった文字として扱っているからこそ「この文字の読みは何でしょう」という問題が成立するわけです。
以上から、学校教育の立場では『漢字は表語文字』と教えるのが本来は適切と私は考えます。
折衷案的解決は?
「表意文字」「表語文字」の違いについては分かったところかと思いますが、問題はまだあります。
「漢字は表意文字/表語文字」問題をさらにややこしくしているのは、実は「訓読み」や「熟字訓」の存在です。
現代では「漢字」には標準的な読み方がありますが、漢字が伝来してから根付くまでの時期、万葉集の時代には、漢字は比較的自由に読まれていたようです。(今野, 2013)
その中で、「この『河』という字は『カ』と読むらしいけど、要するに私たち日本人の言う『かは』のことだよね」といったように、「中国から伝来した時に持っていた音読みとは全く関係なく、意味によって対応する和語と結びつけられた」ことで生まれたのが「訓読み」になります。
「熟字訓」などは訓読みの更に発展した形と言えるでしょう。「竹刀」を「しない」と読むのは、漢字の読みを無視して意味だけを考えないと納得できない読み方です。
つまり、「漢字は表意文字であった」という過去があるからこそ「訓読み」というものが存在していることになります。
とはいえ、現代では訓読みと言えどもやはり特定の漢字に対していくつかの標準的な訓読みが対応しているわけですから、漢字の標準的な用法について言うならば「表語文字」としての扱いの方が一般的というべきではないでしょうか。
「本気」と書いて「マジ」と読ませたり、「律する小指の鎖」と書いて「ジャッジメントチェーン」と読ませたりする例は存在しますが、一般的にはこれらは「当て字」とみなされます。
こうした熟字訓の例なども包括的に説明する案として、私がスマートだと思ったのは「漢字を表語文字か表音文字かに二分する」ことを諦めるという観点です。
今野真二『正書法のない日本語』の中では、「表意的用法」「表音的用法」という言い回しが頻繁に使われます。
子安宣邦『漢字論』でも「表音性・表意性」という表現がなされています。
つまるところ、「漢字」を「表音文字(の中の表語文字)とみなす用法もあるるし、表意文字とみなす用法もある」と考える立場です。
この立場でなら、上で述べた「訓読みは漢字を表意文字と見なすことで生まれた」「現代の国語教育では正しい読みを教える」といった事実を矛盾なく包摂することが出来ますし、「当て字」についても「例外扱い」するのではなく「表意的用法の程度問題」として一元化できます。
いつにも増して長い記事になりました。
以上を踏まえて、私としての結論は以下の通りです。
・現代の標準的用法に限っては「漢字は表語文字」とみなすべき
→当然、学校教育での扱いは「表語文字」でなければおかしい
・表現やデザインの世界ではもっと自由に使われている
→「表語文字」「表意文字」といった「文字の属性」ではなく、
「表音的」「表語的」という「用法」で考えると融通が利きそう
もちろん、これは考え方の問題であり「確かな答え」はありません。
結論は読者の皆様に委ねましょう。
★ひとことまとめ
1. 表音文字の中に表音素文字・表語文字がある
2. 「正しい読み」を認めるのは表語文字としての立場
3. 表音的用法・表意的用法という考え方も有効
☆このトピックにオススメの本
町田和彦(編集):
世界の文字を楽しむ小事典.
2011/11/1, 大修館書店
世界の文字に興味のある方には非常にオススメ。
前半は文字に関する様々なトピックの読み物、後半は世界の文字を1ページにまとめたミニ図鑑のようになっており、眺めても読んでも楽しめる構成です。
子安宣邦(著):
漢字論.
岩波書店, 2003/5/22
「漢字」という〈外部者〉がいかにして日本語に〈帰化〉したかを論じる一冊。
文化史・文学史を語りながら文化論まで展開していく重厚な内容で、漢字を支点にしながら「日本語の読み方/書き方」への理解が深まります。
参考文献
書籍
子安宣邦(著): 漢字論. 岩波書店, 2003/5/22
笹原宏之(著): 日本の漢字. 岩波新書, 2006/1/20
今野真二(著): 正書法のない日本語. 岩波書店, 2013/4/25
町田和彦(編集): 世界の文字を楽しむ小事典. 2011/11/1, 大修館書店
Web(2019/4/15アクセス)
Wikipedia(en)
https://en.wikipedia.org/wiki/Phonogram_(linguistics)
https://en.wikipedia.org/wiki/Syllabogram
https://en.wikipedia.org/wiki/Logogram
https://en.wikipedia.org/wiki/Ideogram
この記事を書いた人
狐太郎
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