前回の記事では知能テストの誕生の歴史を紹介しました。
『知能テスト』が出現したことで、人類は『知能』を日常生活的な『賢さ』から切り離して考えられるようになりました。
……本当にそうでしょうか?
「環境の影響を取り除いた『純粋な知能』」というものは本当に計測可能なのか。
これが今回のテーマです。
「知能」の実体と虚構
「知能」は「身長」や「体重」のような物理的性質ではありません。
では、「知能」とは「物質世界とは完全に何の関係も持たない、『特定のゲームが上手いか下手か』といった程度のスコア」なのか。
こんな疑問が噴出してきます。
この疑問には、本当の意味で真っ向から答えることは出来ません。
しかし、「相関」については語ることが出来ます。
一例としてスコットランドの大規模な追跡調査が有名です。
簡単に言えば、この世界一の大規模統計からは「知能が低いと寿命が短い」あるいは「知能が高いと寿命が長い」という傾向が明らかになりました。
このような事実を勘案すると、一つの考え方が得られます。
「知能という実体」があるかどうかはさておき、「何らかの『良い結果』を生み出す予測値としての『知能』」をスコアとして概念化できるだろう、ということです。
大雑把に筋力を推定する指標として、よく「握力」が用いられますが、これと似ています。
「握力だけで役に立つ」場面はほぼ皆無ですが、握力は様々な筋トレと並行して鍛えられるので、結果的に全般的な体力とよく相関するのです。
つまり「予測の道具として使いやすい」わけですね。
「知能」を「何らかのパフォーマンスの良さを予測する指標」と定義するのは筋が良さそうですが、これは見方を変えると「パフォーマンスを上げるべき状況によって『何を知性とするか』が異なる」という事も言えます。
現代の先進国は言語性の能力が高い人間が社会的・経済的な成功を得やすくなっているので、知能テストも自ずとそれを重視するのが有用ということになるでしょう。
ただし、例えば森の中の狩人などにとっては「森の中で迷わずに自分の位置を把握できる」といった空間的能力が「重要な知能」となるわけです。
森の中の狩人は現代人にとって極端な例ですが、こういった文化相対的な要素は「知能」の測定方法にも影響を与えているので無視はできません。
いずれにせよ、代替指標を使って得られる結論は「確率的にor平均的に、そのような傾向がある」ということになります。
握力60kgの人と握力50kgの人が腕相撲をしても、50kgの人が勝つことだってあります。
ただ、無作為にそのような握力の人を選出してきたら、おそらく60kgの人が勝つ確率の方が高いでしょう。
世の中に「知能の高い人」と「知能の低い人」がいて、確かな因果関係で「知能の高い人はこうなる」「知能の低い人はこうなる」と断言できる……なんてことは決してありえないわけです。
加えて、ここで観測できるのが「相関」であることにも注意しておきましょう。
「相関」から「因果関係」を切り出すことは、観測のみでは一般に不可能です。
それについては、次の段で話します。
「相関」を生む3つの因果関係
「AとBに相関がある」という場合、次の3つの可能性が考えられます。
1.Aが原因でBの結果を生ずる
2.Bが原因でAの結果を生ずる
3.AとBという結果が共通の原因Cから生じる
(4つ目に「実は無関係(=偶然)」という可能性もありますが、ここでは一旦除きます)
ここで「A=知能」「B=寿命」と考えましょう。
1の「知能が寿命を決める」には、直接的なものと間接的なものが想定できます。
直接的なものを考えるなら「脳機能が身体の健康に影響する」ということになりますが……これは医学的で少々混み合った話になるので今回割愛します。
「知能が寿命を決める」度合いとして、影響が大きいのは間接的影響でしょう。
つまり、知能が高い人ほど食生活が健康的だったり、危険運転をする割合が低かったり、そういう行動傾向の結果として寿命が長くなる、ということです。
あれ? これってやっぱり「純粋な知能の結果」とは言えないですよね。
この辺が、「知能だけの結果を抽出する」ことの難しさですね。
2の「寿命が知能に影響する」というのはちょっと考えにくいので今回は飛ばしましょう。
更に問題になるのが3です。
簡単に言えば、「裕福な家庭に育つ」などの因子はこの典型例です。
「裕福な家庭に育つ」ことが原因となって、「高い知能」と「長い寿命」の両方の結果を生じます。
「親の経済水準」と「子の知的パフォーマンス」や「期待寿命」の相関を示す統計には枚挙に暇がありませんし、日常生活の体感としてもこの傾向を否定する人はまずいないでしょう。
書籍中では、「知能と相関を示すと言われているパラメータのほとんどは家庭の経済力と相関を示しているに過ぎない」というNisbett氏の指摘も紹介しています。
ここまで複雑になると、「結局は知能など幻想」と言いたくもなってくるものですが、「相関がある」という事実は事実なわけで、「確かなことは何もわからない」と諦めてしまうのも極端な態度と思われます。
では、どのようにこれを整理していけばいいでしょうか。
知能と「知能テストの点数」を結ぶ模式図
「知能」を巡る因果関係を整理するための案として、Hunt氏の提起するモデルを紹介します。
(Earl Hunt: Human Intelligence (2010, Cambridge University Press) P.19の図を元に作成)
矢印は因果関係の方向を示しています。
四角は何らかの形で観測できるもの、丸(知能)は直接観測できない概念です。
上の方から見ていきましょう。
遺伝的素因(先天的要素)と環境要因(後天的要素)は、共に脳の状態を規定する原因となります。
脳は頭蓋骨の中に閉じ込められているので、基本的にこれらに干渉することは出来ません。
代わりに、脳は知的機能を通じて「行動」として環境に働きかけることが出来ます。
また、「行動」も生物的・社会的な「環境要因」の影響を受けます。当然ですね。
この中で、「知能テストの点数」というのは、本来であれば「社会的行動」と同様に「知能が原因となって生み出される結果の一つ」であるはずです。
ですから、赤い点線で繋がれた部分に相関があっても、それは因果関係たりえません。
……ただし、それは「知能の点数自体に社会的価値が与えられなければ」の話。
現実には、「知能テストの点数」はそれ自体が私たちの社会生活に大きな影響を与えます。
そのような「知能テスト」の典型は、「大学入試」でしょう。
「東大卒の平均年収は高い」という単純な統計を考えても、
「知能が高い人は東大に入りやすく、東大とは関係なく知能が高いことによって金を稼ぎやすい」
という側面と、
「東大に入るとメリットがあり、同じ知能でも東大卒だと金を稼ぎやすい」
という側面があるはずです。
更にこの「知能」を起点とするループは「知能」にフィードバックしてきます。
「知的な人は知力を鍛えるのが楽しい」「更に勉強する」といったループは直感的にイメージしやすいでしょう。
「知能という実体」と「知能の因果関係」の難しさを痛感したところで今回は終了です。
ごちゃごちゃしていますが、まとめを読んで頭の中を整理してくださいね。
おわりに
★ひとことまとめ
1. 「知能」は「人間の何らかの良さを予測する指標」として定義しうる
3. 「知能テストの結果」自体にも価値が生まれてしまうのが現代社会
★参考文献
・書籍
1.Earl Hunt: Human Intelligence(2010, Cambridge University Press)
・論文
Deary, Ian J., et al. “The impact of childhood intelligence on later life: following up the Scottish mental surveys of 1932 and 1947.” Journal of personality and social psychology 86.1 (2004): 130.
中室 牧子:
「学力」の経済学.
ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2015/6/18出版年
「環境要因がどれだけ学力の差を生むか」について啓蒙し、大ヒットした一冊です。
ここで言う「経済学」とは必ずしも金銭的な問題には限らないものですが、結果的には「経済格差によって学力格差が生まれうるか」という理解にもつながる話になっています。
★この研究会について
以下の書籍の輪読会をインターネット上にて定期開催しています。
Earl Hunt: Human Intelligence(2010, Cambridge University Press)
本記事は輪読会の内容を元に、メンバーのトークも盛り込んでサマライズしたものです。
トピックや話の流れは上記のテキストを踏襲していますが、内容は再解釈の上で大幅に加筆や再編を加えています。
なお、研究会に参加をご希望の方はこちらの記事もご覧ください。
この記事を書いた人
狐太郎
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