有名な雑学ネタに、「エスキモー※は雪を100通りにも呼び分ける」という話があります。
これ、実際の真偽はどうなんでしょうか?
日本でも英語圏でも「サピア=ウォーフの仮説」と絡めて持ち出される例でありますが、実際はかなりデマによって誇張されている話のようです。
今回はこれを確かめてみようと思います。
※なお、現代では「エスキモー」との呼び名は不適切との声もあり「イヌイット」と表記するのがpolitically correctではありますが、今回は歴史的な話をする関係上こちらの呼称を使わせて頂きます。ここで指している対象が「今で言う『イヌイット』」と完全に一致するものとは限らず、あくまで「当時『エスキモー』と呼称された人々」のことを指しているためです。
1.そもそも誰が言い出したのか
以下、Lawrence D. Kaplan『Inuit snow terms: How many and what does it mean?』を全面的に参照し、適宜別文献を参照して話を進めます。
「サピア=ウォーフの仮説」と共に語られることが多いこの例ですが、実は元ネタはサピア氏でもウォーフ氏でもなく、フランツ・ボアズFranz Boasという人です。
(「サピア=ウォーフの仮説」は後日別記事で扱おうと思います)
彼は「英語圏で水を状態によって呼び分けるように、エスキモーは雪を状態によって呼び分けているようだ」と言及して例を挙げました。
なんと彼の元々の論文では、たった4つの「雪」を、具体的な例示付きで挙げたのみでした。
彼が挙げたのは「積雪=アプト」「降雪=カナ」「地吹雪=ピクシクスク」「吹き溜まった雪=クィムクスク」この4つです。
「あれ? 日本語も3つは呼び分けられてるじゃん?」とお思いかもしれませんが、「積雪」「降雪」「地吹雪」はいずれも合成語。エスキモーが「全く別の言葉として」これらを呼び分けているのとは異なります。
日本語で「空から降ってくる水」が状態によって「雨」「雪」と呼び分けられるように、「合成語ではない、全く別の語」として呼び分けられていることが必要なのです。(英語だって修飾語をつければさっきの4つの『雪』を表現で区別することは出来ますからね)。
これらの「名詞の修飾要素を除いた最小部分」のことを指して「語幹」と呼びます。
ボアズはエスキモーの言葉の中で「アプト」「カナ」「ピクシクスク」「クィムクスク」が「『雪』を指す語幹」だと考えました。だから「別々の名詞として4つも『雪』を呼ぶ言葉を持っている」と驚いたのです。
ウォーフ氏はボアズ氏を名指しで引用してはいませんが、自説の中で全く同じ例を挙げてエスキモーの例を紹介しており、まず間違いなくボアズ氏からの引用であろうと言われています。
ただ、ウォーフ氏は更に「エスキモーの雪の名前を全部合わせたら、大変な数になるだろう」と付け足しています。確認できた例が4つであるに過ぎないのに、憶測でそれを膨らませるようなことをした。おそらくこれがマズかった。
こうした話が伝言ゲームでどんどん拡散され、一部は誇張されて新聞や雑誌にも載ったことで、「エスキモーはたくさんの『雪』の名詞を持っている」という話が広がったようです。
20から50に増え、さらに100くらいという話まで出ていたというのですから驚きです。
2.なぜそこまで増えたのか
このデマが拡散した理由には様々な要因が考えられます。
一度「極端な例」として定着すると、例示に便利であるため多くの(エスキモーが専門でない)専門家から度々引用され、また誤謬が定着していく、というサイクルが間違いなくあったと私は考えます。更に訂正を困難にした要素として、「エスキモーの言語を直接扱える専門家やフィールドワーカー」がほとんどおらず、検証が困難であったこともありましょう。
ただ、その他にも言語学的・文化的な要因があり、専門家ですらもこの狂騒に加担してしまった節があるようです。
原因の一つは、欧米人が「エスキモー」を単一民族のように見ていたことだと言われています。
「エスキモー」と一口に言っても、実は複数の部族や言語を含んでいるわけです。
例えるなら津軽弁も東京弁も関西弁もアイヌ語もごちゃごちゃにして語彙を稼いでいるような話で、そりゃ語彙数が多く見えるのも頷ける話でしょう。
加えて、「同じ語幹からの合成や変形による派生語が英語圏では言語学者にさえも間違われた」ために数が水増しされたという可能性も指摘されています。
「20」だの「50」だのと言っている数が「語幹」の数を指しているのか「派生語も含めた語」の数を指しているのか。ここが混合されると話が違ってきてしまいますね。
日本語で例えれば、「ぼたん雪」「雪山」という言葉は「雪」という名詞に接頭辞や接尾辞を付けているだけなのに、これを「ボタンユキ」「ユキヤマ」と「別々の『雪』の名詞」としてカウントするようなもの。これでは接辞や修飾語がある限り無限に水増しされてしまいます。
3.実際どうなの?
ここで、エスキモーの言語を専門とするフィールドワーカーの手による著書を紹介します。
宮岡伯人『エスキモー 極北の文化誌』に、この答えが書かれていました。
本書の著書である宮内氏は、カナダ・エスキモーの「『雪』を指す語」を「語幹として」20種強(ユピック語では16種)とする説を支持しています。
さらにその中でも、別の語からの借用や変形によって生まれた「派生語幹」が多くあることを指摘し、「あくまで元から『雪』だけを表していると考えられる語幹」として6種を挙げています。
「降雪=カニク」「溶かして水にする雪=アニウ」「積雪=アプト」「きめ細やかな雪=プカク」「吹雪=ペエヘトク」「切り出した雪塊=アウヴェク」の6種です。
なお、これはカナダ・エスキモー語であり、ユピック語(西南アラスカのエスキモー)ではこのうち4種が(やや異なる発音ながら)見られると記しています。
ボアズの挙げたものは「カニク」と「アプト」は共通ですが、残り2つは含まれていません。おそらく、除かれた「派生語幹」に含まれる語か、派生語などだったということでしょう。
こうしてみると、「甘く見積もっても16種ないし20種強」「純粋に雪のみを指す語幹は6種ないし4種」が実際に確認できる数、という結論になるでしょう。
余談ですが、伊藤計劃『虐殺器官』では「ボアズが最初にその話に触れたときは、4つだった」「実際に調べてみると1ダースもないというのが本当のところ」としており、上記の真相をかなり正確に把握していることが分かります。
ただし、その後の「それだったら、英語だってイヌイットに劣らないくらい雪を表すことばを持っている」というくだりが若干の誤解を含んでいることは、上記の流れを読んだ方には分かるでしょう。
「1ダースに満たない」のは、あくまで「派生語幹を除いた上での語幹の数」であり、「雪を表すことばの総数」ではありません。英語には「派生語幹を除いた上での語幹の数」はそんなに無いでしょう。「snowfall」や「snowdrift」のような合成語はダメです。「snow」以外で雪に関わる(合成語でない)語となると、日常語では「blizzard」くらいではないでしょうか。
日本語では「雪」以外に「雪を指す言葉」はありませんが、「空から降ってくる水」を、その状態に応じて「雨」「霙」「雪」「雹」「霰」と呼び分けています。雪だけしか降らない地域や、雨だけしか降らない地域では、おそらくこのような複数の語幹での呼び分けは定着しないでしょう。
特に「霰」と「雹」は共に英語では「hailstone」であり、日本語の方が細かく呼び分けている語であることが分かりますね。
★ひとことまとめ
1.話の元ネタはサピアでもウォーフでもなくボアズ
2.語幹で単語を数えないと語数はいくらでも増える
3.語幹の数としては20種強、派生語幹を除けば6種程度
3′.伊藤計劃は実は結構正しく書いていた
「言語」という広大な世界を学問の目で概説してくれる本です。
意味論・統語論・音声学といった「言語学としての主要分野」だけでなく、比較文化論や失語症研究にも触れているます。話も非常に分かりやすく、入門用の一冊としてはベストに入ると思います。
今回触れた、「語幹と接辞」についての分かりやすい解説があり、言語間比較の項では「サピア=ウォーフの仮説」についての説明もあります。
伊藤計劃:
虐殺器官.
ハヤカワ文庫JA, 2010/2/10
あまりに有名過ぎるのでここで紹介するのも躊躇われる作品ですが、話の流れですから紹介してしまいましょう。
ゼロ年代SFの最高傑作とも言われる、言語を題材にしたSFです。
二転三転する展開、周到に構成されたギミック、いずれも確かな一級品です。近年映像化もされていますが、非常に含蓄の深い言い回しがすさまじいハイペースで吐き出されているので、私はあくまで初見は小説をオススメします。
参考文献
狐太郎
最新記事 by 狐太郎 (全て見る)
- AIサービスを活用した英文メール高速作成術 - 2023年3月28日
- 大学生・院生に便利なAIウェブサービスまとめ【2023年2月版】 - 2023年2月22日
- 「読書強者」が「速読」に価値を見出さない理由【隙間リサーチ】 - 2022年9月23日