「社会には理解不能な化け物がいる」と理解しておくことが一つの自衛になる【新書読書】

0 メディア

松崎 一葉

クラッシャー上司
平気で部下を追い詰める人たち

PHP新書, 2017/1/13

 

いつもは実学系や教養系の本が多いので、今回はちょっと趣向の異なる本を。

「一見すると有能に見えるが、実は非常に危険で有害な人」についての話です。

 

私たちが普段接する人々というのは大方、ざっくり言えば「まともな人」だと思います。

「明らかにマトモでない人」というのは、往々にして「然るべき対応」がなされるがために、一般的な組織では排除ないし冷遇されることになります。(この際それが良いことかどうかは脇に置いておきます)

しかし、一方で見落とされがちなのは、「仕事では有能で、一見して人当たりもマトモだが、同じ組織にいる部下をじわじわと壊していく」というタイプの人間。

こういう人間は、通常の人物評価や能力評価で淘汰されることが少ないが故に、一般社会でそれなりの地位と権限を握っていることがしばしばあります。

 

こうした人間を評して、著者は「クラッシャー上司」と名付けています。

 

本書の要点は大きく4点です。

① 「クラッシャー上司」という理解不能な人間たちがいる
② クラッシャーの精神構造は部分的な未成熟にある
③ 日本の企業体質がクラッシャーを出世させてきた
④ 日本企業の発展のためにもクラッシャーを処分すべきだ

 

このうち、②は興味があれば読んでもいいと思いますが、それほど真面目に取り合う必要はないかと思います。

個人的な見解ですが、このような精神分析には実証的でない部分があり、何とでも言えてしまうので、「そうかもしれないし、そうでないかもしれないですね」という程度で読むのが良いでしょう。

 

④はそれに輪をかけて読む必要がありません。

「クラッシャー上司を駆逐することは企業の経営のためにもなる」という主張ですが、これにも実証的な根拠はありません。

そもそも著者は一介の精神科医であり、「こうしたら企業のイノベーションが増進して経営状態もよくなる」などという主張は全て彼の想像に過ぎません。私にはこの主張は典型的な公正世界仮説に陥っているように思えます。

 

本書の中で注目に値するのは①と③です。

つまるところ、「こういう人物は実際の社会の中にゴロゴロいる」「彼らはある意味でこの社会に”適応”しているので、必ずしも社会的制裁を受けずにプレイヤーとして残っている」というニ点です。

これらを覚悟せずにいると、社会の中で自分の身を守る判断を誤ったり、防御が遅れたりすることがあると思います。

 

 

人間が一般に持ちやすい思考法として、self-based heuristicというのがあります。

「ヒューリスティック」はコンピュータ関連の分野でも使われますが、「厳密な正解を出す方法ではないが、近い答えを簡易に得るショートカット」というような意味ですね。

「self-based heuristic」とは、相手の意図や思考を推測するために「自分だったらこういう時にこう思うから、きっとこの人も近い考え方をするだろう」という発想を取ることです。

「己の欲せざる所は人に施す勿れ」も一種のself-based heuristicと言えるでしょう。

 

しかし、ここには落とし穴があります。

Self-based heuristicに基づいて、相手のために配慮したり、行動したり、時に相手の期待に応えるために努力したとしても、「相手があなたのように考えるとは限らない」ということです。

Self-based heuristicに基づいた意思疎通や協調行動は、相手が「自分と全く異なる心理構造を持ったモンスター」であった場合、通用しないばかりか、その行動を逆に利用されたり搾取されたりする可能性があります。

 

「仕事において有能で他部署や上役からの評判も良い上司」というような属性があると、これをモンスターと認識しにくくなる傾向は更に高まります。(「ハロ効果」と言います)

「こんなにちゃんとした人なんだから、不満や不信を抱いている自分の方がおかしいのだろう」と溜め込んでしまう危険性があります。

 

長くなりましたが、本書から学ぶべき教訓を要約すると以下の二点です。

①世の中には「自分の理解の範疇を超えたモンスター」がいる
②彼らの中には社会に上手く適合しているものも少なくない

これを知っておくだけでも、「距離を置くべき人」に対する感度は上がるのではないかと思います。

「すごい人だけどヤバい人」というのは、そういう目で見てみると結構世の中にたくさんいます。

 

皆さんも、どうかお気をつけを。

 

 

★NEXT STEP

マーサ スタウト(著), 木村 博江(訳)

良心をもたない人たち

草思社文庫, 2012/10/4

 

松崎先生自身は「クラッシャー上司」について、「サイコパス」とはやや違う枠組みで捉えておりましたが、私はこの両者にかなり共通点が多いように感じました。

いずれにしても重要なのは「相手をマトモな人間の延長で理解しようとしても無駄」「根本的に全く異なる心理構造を持った人間だと割り切って距離を置くことが最大の自衛」という点です。

「異常な相手を知ること」よりも大事なのは、「自分の心を守ること」

そしてそのためには、「異常な人間である」と判断したら真っ先に守りの構えを取ることです。

The following two tabs change content below.

木村勝哉

「全学問の素人」を標榜しています。 質問や意見は随時大歓迎なので、下のフォームからいつでもコメント下さい。

コメント

  1. 通りすがり より:

    発達障害者の適切な見抜き方、避け方、(自分の人生からの社会的)殺し方 (特に高学歴で擬態してるタイプ)について、大真面目かつ具体的な方法論を記事にしていただければ幸いです

    • 木村勝哉 より:

      ご要望について、結論から言えば「それは出来ません」。
      これについて、私の根拠となる考えを述べます。

      「発達障害者」それ自体を「悪者」に仕立て上げることは、論理的にも倫理的にも大きな過ちであると考えます。
      そもそも本稿で扱った「モンスター上司」にしても、これ自体は「発達障害」とは独立した行動特性を指すものです。
      「発達障害を持っているが、部下を壊さない人間」および「発達障害を持たないが、部下を壊す人間」が存在する以上、「この相手は部下を壊す人間かどうか」を考える上で「発達障害者であるかどうか」に特化して判別することに何の意味もありません。
      「発達障害を持ち、かつ加害的である人たち」について考えるのであれば、その「加害性」にフォーカスすることが最も妥当かつ最も有効であるはずです。
      そして、この「加害性」は一般的・客観的な属性ではない、ということが更に問題をややこしくします。

      極端な話ですが、もしあなたがある種の発達障害で、その認知・行動特性に由来する困難を抱えている場合、「発達障害の上司よりも健常者の上司の方があなたにとって加害的となる」ことは十分にありえます。
      その場合に、「相手が発達障害か否か」で有害性を判別することにあまり意味はありませんね。

      同時にこれは、「社会的な殺し方」を考えることのナンセンスさについても一定の示唆を与えます。
      相手の有害さが「関係性」によって決まるものである以上、それを「社会的」に裁くことには限界があります。「法で裁けるものもあれば法で裁けないものもある」という結論になるでしょう。

      最後に、私が最も有効と考える具体的な戦略だけ紹介します。
      それは「その上司の下で、自分と似たタイプの人が楽しく活き活きやっているなら、その上司は『自分にとって当たり』である可能性が高い」というものです。
      外から入ってきた人間が論や策を弄するよりも、長く一緒に働いている人の目には色々なことが見えているものです。少なくとも私はそう感じます。

タイトルとURLをコピーしました