「よく読むこと」の限界と、「人は一人では賢くなれない」という話【新書読書】

「よく読むこと」の限界と、「人は一人では賢くなれない」という話【新書読書】

西林 克彦
わかったつもり
読解力がつかない本当の原因

光文社新書

2005/9/20

 

「質より量」の読書をしてるなーと思い始めた頃に読む本。

数々の例題を通して「いい加減に読んでいる」ことを突きつけてくれる良書です。

 

本書の大筋の主張はシンプルで、

・思い込みで読むな
・部分をちゃんと読め
・部分と部分の整合性に気をつけろ
・「まだ自分の読みは不十分」と常に疑え

といったところです。

主張は普通なんですが、これを読者に芯から納得させる筋立てが本当に上手い。

一つ一つの具体的な読解ポイントを取り上げながら、最終的には「『よく読めている』というのはどういうことか」という根源的な問題にも目を向けさせる構成になっています。

 

要所要所で読者に「解く」ことを求めてくるので、是非そこも読み飛ばさずにちゃんと答えながら読み進めてほしいと思います。

気を抜いて読んでいるとあっけなく意表を突かれます。

 

タイトルや煽り文は「いかにもビジネス書」という感じの体裁ですが、実際は非常に丁寧に「読解」の理論を説いている本で、(Prime Readingに数少ない)「読む価値のある本」だと思います。

Prime会員の方は方は半信半疑でもいいので手に取ってみて下さい。どうせ無料だし。

特に国語を受験科目に含む受験生には是非とも一読を勧めたいです。

受験を終えてから本書を手に取ったら、高確率で「これを高校生の頃に読みたかった」と後悔してしまうと思うので。

 

 

……と、ここまでは本を褒めたわけですが。

ここからはこの本を「読んだ上での」話です。

私も受験指導をしていた頃は本書の考え方に非常に刺激を受けました。「そうだな、よく読まなきゃ」と素直に捉えていました。

が、立場が変わってから再読するとまた違った景色が見えてくるもので……。

 

どこまで「よく読む」かというのは、実は悩ましいトレードオフでもあります。

一冊一冊の本について「もっと良い読みがある」という意識を持ち続けたとして、私たちの多くは「一つの本を極限まで『わかる』ために無尽蔵の時間を費やす」ことは出来ないからです。

 

本書では「よりわかった」状態になるための一つのきっかけとして「引き出された矛盾」を取り上げていますが、時には「よりわかる」ためのきっかけとなる「矛盾」が「別のテキスト」からもたらされることもあります。

つまり、「本Aの中の記述a1記述a2との矛盾を通して、本Aへの理解が深まる」だけではなく、本Aの中の記述a1と、本Bの中の記述b1との矛盾を通して、本Aへの理解が深まる」こともあるわけです。

文芸作品のようにテキストが独立している場合はまだしも、自然科学のように「一つの事物を巡って書かれたテキスト」が多数存在する場合には、このように「テキストの矛盾」ではなく「テキストの矛盾」が自己の誤解に気付く契機となることは珍しくありません。

 

このような場合、「一つのテキストをあくまでよりよく読む」ことよりも、「そこそこで妥協しながら複数のテキストを読む」ことが、結果的に「よりわかった」に繋がると言えます。

そして「読解の精度」「量とのトレードオフ」であることを踏まえると、筆者が警鐘を鳴らす「わかったつもり」の「罠」が、実は「罠」というより「ジレンマ」であることにも気付きます。

 

「結果から」「最初から」の罠というのは、「文脈を捉えて、大筋から外れない読み」をしつつ飛ばし読む場合には効率の良い読解テクニックと表裏一体の存在です。

「いろいろ」の罠も、個別例から得られる情報があまり大きくない場合に「筆者が何を言うためにそれを列挙しているか」だけ把握するに留めて読み進めるための認知負荷軽減と考えることができます。

 

私は決して、「わかったつもりになって、よく読まない」ことを勧めたいわけではありません。

しかし、一方では「一つのテキストをよく読まないこと」の危険を認識しつつ、「複数のテキストを読まないこと」の危険もまた認識する必要があるはずです。結局はバランスを取ることが必要になるという話なんですが。

また、これら質的に異なる「わかったつもり」がトレードオフの関係を持っている以上、常に「一人で全ての『わかったつもり』を克服する」ことは不可能です。

「人はそれぞれに別種の『わかったつもり』を抱えている」と認識しておくことが、実は大事なのではないかというのが私の結論です。

 

そう、「『わかったつもり』からの脱出」のために、非常に重要かつ有力なきっかけをくれるのは「よく読む仲間」だと私は思うのです。これは本書には書かれていません。

 

そして、この「『わかったつもり』からの脱出」のノウハウは、「テキスト」のみならず、「知識体系」についても言えることではないでしょうか。

「何が専門家を専門家たらしめるか」には十人十色の見解があるかと思いますが、私は「自分の専門領域について、他の専門家と互いによく意見を交わす」ことが一つの本質ではないかと思っています。

「相互理解に基づいた相互批判」こそ、「わかったつもり」を壊していくための最も有効な方法の一つだからです。

 

アマチュアでも、「単に賢い人」は確かにいます。

弁の立つ人もいます。頭の回る人もいます。知識をよく集めている人もいます。

彼らは、瞬間的・局所的に見れば、学者や有資格者より気の利いたことを言う時があるし、正しいことを言う時もあります。マトモに専門家と論争して「論破」したように見えることもあるでしょう。

ただ、どうも世の中を見ている限り、彼らのパフォーマンスに持続性や安定性はありません。

「わかったつもりになったアマチュア」が「セミプロ」のような振る舞いを始めると、遠からず狂っていくか、踏み外すか、信者商売を始めます。

「プロ」のプロたるゆえんとして、実は最大の資質とは「対等な立場で誤りを指摘してくれる『他のプロ』が身近にいる」ことなのではないでしょうか。

 

「完全な読解」が無いように、「誤らない」ことは誰にも出来ない。

ただ、「何につけても自分よりよくわかっている人がいる」と常に考えながら、人から矛盾を指摘された時には立ち止まって顧みる。その心の準備をしておくことは出来るはず。

また、「正しさはいつも一つ」と信じてしまうと、「あいつは俺に賛同しない、つまり俺のことを間違っていると思っているんだ!」と振り切ってしまうこともあるでしょう。

自分の言い分が納得されなかった時に、「整合性のある解釈は複数あるが、その中で自分の『正しさ』は相対的にあまり説得力を持たなかったのだろう」と思い直す心の余裕は欲しいものです。

逆に言えば、自分の共感できない意見を見つけたらいきなり人格攻撃を始めるとか、自分の意見に同調してくれない人をすぐ恫喝するとか、そういうのは「最短距離で道を踏み外す方法」に他ならないわけですね。

 

……などと綴ってみましたが、これも私がまだ「ちゃんとした人々」に構ってもらえるだけの人間関係に恵まれているから言えることなのかもしれません。

私も人間関係の大半を失ったらこんなことを直視する心の余裕は無くなるかもしれない。

だからこそ、私が知的な友人を大事に思うこと、そしてあわよくば相手にとっての自分もそうありたいと思うことを、今のうちに明文化しておきたいと思ったわけです。

 

 

そんなところで。本の話から逸れてしまったので、「テキストの読み方」の話に戻ります。

「特定の指導者を持たない集団学習」として、輪読会抄読会といった「一つのテキストをみんなで読む」勉強法がしばしば採用されますが、これが上手く機能するのも互助によって「よりわかった」状態へのシフトが促進される場合だと言えます。

・主担当者は、他の参加者が「わかったつもり」になりやすそうな部分を、事前に先回りして見つけておく。
・一般参加者はテキストを読んで「よくわからない」と感じた部分を遠慮なく提起する。
・ときに担当者も他の参加者も「わからない」と感じる部分があったら、それを解消する解釈を一緒に考える。

参加者全員にとって実りある抄読会は、これらの要素が上手く噛み合っているように感じます。

 

 

まとめ。

「よりよくわかる」ためには、「わかったつもり」を打破すること。

そのために、「自分で読み方に気をつける」ことも大事だけど、「違和感をフィードバックしてくれる隣人の存在」は非常に助けになると私は考えます。

「死角」を見る事ができるのは、「もう一つの目」です。

 

★NEXT STEP

新井 紀子

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

東洋経済新報社

2018/2/2

 

『わかったつもり』「よく読まないから不十分な読解や間違った読解が生まれる」という批評であり、「ほら、ちゃんと注意して部分をよく読めば分かるだろう」という前提に立っていました。しかし、こちらの本を読むと、なかなか一層絶望的な気持ちにさせてくれます。

そもそも「ちゃんと読めば書いてあることが分かる」のは、一部の学力上位層でしかないというのです。

現状では「普通の子がこの能力を上げるにはどうしたらいいのか」について誰も答えを出せないことが更に暗澹たる気持ちを煽りますが……それにしてもこういう数字を見てしまうと、「『ちゃんと読める友人』を増やしたいなら東大へ行け」という暴論にも一分の説得力を認めざるを得なくなってしまいますね……。

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狐太郎

読んでは書くの繰り返し。 学んでは習うの繰り返し。

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